帰り道

一ヶ月に一度くらい、こんな日がある。頭の中がひどくクリアーで、自分にとって何が必要かそうでないのかがよくわかる。
言葉や音、文字、音楽、表情や感情の全てがまっすぐに届いて響いてくる。この声や、この笑顔があればわたしは笑っていられると確信する。
それらは、日々増えている。けれど、そうだと思っていたものが、そうではなかったりもする。それは、わたしではなく相手にとって、時に残酷で冷酷だと思う。でも、この瞬間に出た答えを、わたしは信じることにしている。手放すか、手放さないかとは、それはまた別の話なのだけど。
秋から、イタリア語と着付けを習おうかと考えている。アイドルのいない国(イタリアにもアイドルはいるだろうけれど、わたしはジャパニーズアイドルが好き。)に行くことが嫌だと思っていたけど、わたしが本当に嫌なのは、アイドルのいない国に行き、今の友人たちと疎遠になってしまうこと、取り残されてしまうことなんだと思う。
でも、多分だけど、例えばわたしがイタリアに移住したとしても、友人たちはわたしのことを忘れないでいてくれると思う。わたしが帰国したら、きっとまた笑顔で迎えてくだらないおしゃべりをしてくれるだろうと思える。
二年間地元である関西を離れたこと、ここでみんなに助けてもらいながら生きてきたことで、わたしは信頼を寄せることができた。
実際そうではないかもしれないけど、今わたしはそう信じられている。その事実は何より大切。

海外で暮らしてみたいと思うし、アイドルと離れる抵抗も今ならない。恐怖はあるけど、少しずつ準備をしてみるのも悪くないんじゃないかな。
言うだけは簡単、言うだけで何もしない自分にはさよならを告げたい。知人のブログを読んで、わたしもちょっと勇気を出して、してみたいなと思ってたことをしてみよう、って思えた。ありがたいこと。感化されやすいからだけど。環境を変えたい気持ちはあったんだよねぇ。わたしの生きる世界は狭すぎる。わたしの生き方の問題かもしれないけど、関西に戻るって選択肢もないし、どうせ引っ越すなら日本を出るのも悪くないかな、と。
そんな決意表明。寝言だと思って読み流してください、って保険をかけちゃう時点で意志薄弱だなー笑