だめんず。

この人は、わたしに甘えたかったのかもしれない、と思った。
お酒を飲みながら妙にハイで、ふたりきりになったその瞬間に、その話をしたのはわたしだけど、語ることを選んだのは相手で、弱っていると言ったのも似ているといったのも相手。あぁ、今日はふたりのほうが良かったんだ、と思ったら、帰りにそんなメールが入る。わかるというのは、便利だったり不便だったりする。実際、似ていると思う。相手がしんどいくらいなら自分がしんどいほうが100倍良い。そういう考えがあるから、弱音くらいきいてあげようと思う。でも、そうすると大抵の子たちは、いつもいつも、自分のことばかりになる。わたしの頭を、たまには撫でてくれたっていいのに、と思っていた。いつもいつも甘やかされてきたから、今は、最後にわたしが、できるかしらないけれど、甘やかせてあげられるならそうしたい。引越しが無ければ、泥沼だったかもしれない。言われた言葉は否定できなくて、だめなひとを甘やかすわたしはもっとだめなのだ、と思わされた。
あのひとが違うと誰にも言えないけれど、あのひとは違うと経験と勘が告げる。だって既に甘やかされているし、その心地よさを知っている。難しいな。
今日もそうだけれど、時々びっくりするタイミングで、どきんとすることを言われる。ここ1週間の話。でもわたしはここからいなくなるから、甘酸っぱい余韻と予感だけで全部終わる。だからこそ、そういうのにいちいち躊躇うことなく考えすぎることなくリアクションが起こせる。
自意識過剰なだけなら、いっそそのほうがいい。どちらも付随するものが多すぎて面倒で苦しい。なのに絶対、適当にすることが出来ない。わたしはほんとうにだめだ。大切と偽善が入り混じって、ひどいことになってる。
出て行く前に会いたいひとがいるけど、会ってしまったら今度こそほんとうに恋をしてしまう気がしている。会えないと思っているから我慢できる。離れるのだから、会わないほうがいい。そう言ったら笑われた。だって、ずるずる引きずるのは得意なんだもの。手帳に写真を挟んだのはネタだけじゃないんだ。でもそんなことしてるから、こんなことになってるのかも。もうやめよう。会いたいっていったって、会えない距離になる。笑顔がかわいくて、子供みたいなくせにちゃんと大人で、やわらかい雰囲気がほんとうに良い。でもただの子供にしかきっと見えてなかっただろうけれど。年齢が阻むものは、相手によってはとても大きい。干支一緒だし。あとからならいくらでも言える、結局は。

アンテナ登録してくださったままの方がいらっしゃるようで。変な話しか書きませんけど復活しました。ちょっといろいろ変なタイミングで思わせぶりなこと起きすぎた。