さみしい。

どうしようもなく淋しくなってしまったときは、いつもゆうちゃんに会いに行っていた。おおらかな彼女は、鬱々としているときと、家にいないとき以外のほぼいつでも、わたしの誘いを受け入れて迎え入れてくれた。バイトをしていないゆうちゃんの家は、わたしが訪れると大抵灯りがついていて、バイト終わりも大学終わりも、おつかれ、と言ってくれていた。
この不在には慣れた。いつでもは会えないけれど、ゆうちゃんはきっと、自分に余裕があればいつだってわたしを受け入れてくれる。でも、ゆうちゃんはわたしのために無理をしたりはしない。だから、わたしは安心して彼女に甘えることができる。わたしが淋しがっていることや、弱っていることに気付いても、ゆうちゃんはそれを口にしない。わたしがそんなことを望んでいないし、どうするべきかわからないから。わたしは何も望んではおらず、ただそばにいてほしいだけで、だからゆうちゃんの隣は本当に居心地がよい。
そんな友人がいるわたしは本当に本当に幸せだけれど、やっぱりこの淋しさには慣れない。慣れなければならないのに、慣れられず、パブリックに弱音をつぶやいてしまう。せめてこの場所だけに留めていたい。誰にも心配などかけたくないのだ。淋しくなくなるにはいつでも会いに行けるひとをつくるしかないけれど、どれだけ心配されても、電話をしてもいいと、会いに来ていいと言われても、わたしはそれを信じられない。気持ちはうれしいのに、その気持ちを信じられない自分が、余計に悲しくなる。