出逢う幸せの数だけ 大きな痛みを知っても

  • 01:52 ほんとにほんとにREADY?コンが大好きなのは、たぶん今年で一番しあわせってたくさん思った現場だからです。来年の一月が遠い。
  • 01:52 コイン踏みつぶす森田見て泣いてるとか意味わからんな。スイッチ。
  • 01:54 なんか森田のことが大好きという気持ちが本能的すぎる。
  • 01:57 まー様がかっこいいことも岡田がかわいいのも健ちゃんがかわいいのもどれもすごく真実で揺るがないのに、なぜ自分はこんなに森田が好きなのかなって考えても森田の魅力として突出する何かが思いつかないんだよなぁ。でも森田のことが好きなのよ。本能以外に上手い言葉が見つからない。
  • 01:58 自分の好みってゆるふわでおばかでかわいい、狂気の似合う大型犬ってのがわりと的を得てると思うんだけど、森田はそこにも当てはまらないし。
  • 02:00 でも、わからないからすごくすごく見てしまうし、知りたいと思うのだろうなと思う。舞台雑誌あくちゅーる以外まだ出てないかな?あくちゅーるも買わなきゃ。

いわゆる「担降り」ということについて考えるとき、森田がいつもその対象にならないのは、「わからない」からだと思う。担当と名乗るからにはその愛情に説明をつけたい。この人は自分にとってこういう存在だから「担当」なのだ、というような論法を使いたいという気持ちがある。
それが面白いから、でもいいし、誰よりも好きだから、でもいい。何でもいいけど、でも森田にはそれがない。でも「知りたい」から、降りるって言うのもきっとアリなのかなって近頃は思います。
来年の1月まではきっと担降りについては考えざるを得ない環境だと覚悟しているので、だいたい毎日こんなことを考えている。
あいばくんは自分にとって本当に特別で大好きな人で、誰よりもわたしに元気をくれる。でも、今のわたしはそれを胸を張って言い切れない。悲しい。
やっぱりきっかけが国立にある以上、次の福岡ドームが終わるまでこの感情は絶対終わらない。やっぱりどうしたって、その間に行われるドーム公演の楽しかった!って感想を見ていると、にこにこする反面、どこかで羨望の感情が生まれてしまって、そういう風に粘着な感じが自分でも我慢できなくて、良くないループです。大好きでいて良かったって思いたいけど、そう言い切れる材料が今自分の手元にないことが悲しいんだ。そうしてREADY?コンを見ながら泣くことは、ブイにも失礼だって凄く思う。
でもあの幸せ空間が懐かしいことも事実だし、このコンサートが大好きなことも、森田が大好きなことも、それはきっと1月が終わっても絶対変わらない真実って言い切れる。でもやっぱり、どうして森田のことがこんなに大好きなのかは、よくわからないんだよなぁ。
薬指の指輪に方耳の黒いピアスも髭も金髪も茶髪も、細い体型とあごのライン、美しい鎖骨から放たれる気だるい色気、DVD撮りが入ると分かりやすく入れ替わるスイッチ、オフでもキレのあるダンス、私服のネルシャツ、舞台仕事を愛しているところ、あの見た目で役のために早く坊主にしたいって言い切れること、それを恥じらわないところ、胸を張っているところ、愛しいって思うところはたくさんあるけど、そのすべてが好きだけど、そのすべてを持ってるから森田のことが大好きなのか?って問われると、そうなのかな?ってまだ自分に聞き返す自分がいる。そういう手探りな感覚は初めてで、結構面白いなと思う。でも不思議で不思議でたまらない。